2019/04/20

参加者のメッセージ(4月)

春日部集談会に参加して

ペンネーム フェレット

                       50代 女性


春日部集談会に参加し始めて、早いものでもう12年くらいになります。
不安と観念的強迫(特に縁起恐怖)が強いです。

来はじめたきっかけは、主人がバイクの事故で、突然亡くなってしまったことです。

急に世帯主になって、漠然とした責任、悪い想像に押し潰されそうに感じていました。
目の前で死を実感し、 いろいろなことが怖くてしかたありませんでした。
今まで、これで正しいと思ってた生き方が全部間違ってるような気がして、どう動いたらいいのかわからなくなってしまっていました。
(妻という立場で)関わっていたいくつかのコミニュティにも居場所がなくなったように感じてしまいました。
何か新しい知識が欲しくて、
(若い頃パンフレットだけもらっていた)「生活の発見会」に何となく参加してみたい…そんな感じです。

…とは言っても自分に余裕もなく、今まで関わったこともないところに一人で行くことは(想像がつかないから)苦手で、(これ以上悪くなりたくないと)予期不安ばかり浮かんで来ました。
すごくお金かかったらどうしよう?とか入会して逃げられなくなったらどうしよう?とか「この教えを聴かなかったら不幸になります」みたいにより不安を煽ること言われたらどうしよう?とか、(電車とバスで)家から1時間くらいかかるから、具合悪くなったらとかそんなことばかり考えて、行くまで何ヵ月もかかってました。
それでも辛くて何かを変えたい気持ちの方が強くなって一歩踏み出した感じです。
春日部に参加したのは、その中で一番近いところの1つだったからです。

実際参加してみてどうだったかと言うと、 当時の春日部集談会は、男性が多くて、家庭の臭いがあまりしなかったこと、死別されて何年かたった方がたまたま数名いらしたことも救いでした。
人によって合う集談会はさまざまなのだと思います。

とりあえず、入会金と年会費と集談会に参加する度の会費しかかかりませんでした。
「聴かないと不幸になります」とは言われず、「学んだらよくなるヒントになるかも」という希望が感じられました。

参加しつづけて感じたことは、
参加している人の悩みはそれぞれ違うけど何かしらで生きにくいと思ってる
(立場が逆で対立することもたまにあるけど、それが違う立場なりの辛さを理解することにつながる)
生きていると年齢やその時々の環境など悩む内容は変化はするけれどなくなることはないので、集談会に参加してから悩みがなくなったわけではないです。
私は、こうでなければと頭が固いので、いろいろな方の話を聴いて、毎回帰ってからモヤモヤと落ち着かない日が3日くらい続きます。
でも、考えが整理されると何かしら柔軟な発想をもらうことができています。
パニック的な不安は、実際今でもいろいろな場面で出てきていますが、集談会には毎月通えています。

会費を払ったこと、割りと早い段階で係(強制ではない)を受けたこと、それが多少の縛りになって、通い続けることにつながっていると思います。
継続して参加すること、係やイベントに参加することで共通する話題ができて、居場所に早くなりやすかったです。

森田療法の会ですが、多分私は、一人で本を読んで学んだりしても抽象的で難しくて、その時々の自分の悩みにどう応用していったらいいのか、自分はどうしたいのかもわからないです。

人はいくつか母船があると、自由な行動や新しいことへの挑戦がしやすいと思います。
今の世の中には森田療法に限らずいろいろなところがあります。春日部集談会もそんな選択肢の一つだと思います。